稲盛和夫から学ぶ【考え方】の大事さ
2012年06月29日
今夜のカンブリア宮殿を見ながら感じたことがある。
私は、前の会社で、どん底を味わっている最中、稲盛さんの本と講演に出会うことで、ジリ貧に陥る原因が、経営者の【考え方】にあることが分かった。
稲盛さんの言う、仕事と人生は、【考え方】×【熱意】×【能力】という方程式で決まるという。
【熱意】と【能力】は、0~100までの尺度があり、どんなに最低でも1以上あるとのこと。
ところが、【考え方】だけは、-100~+100までの尺度があるという。
どんなに【熱意】があろうと、どんなに【能力】があろうと、【考え方】がマイナスであれば、結果はマイナスになってしまうのが、この方程式の特長。
どんなに自分の【考え方】がプラスだと主張しようと、結果がマイナスであれば、【考え方】がマイナスであることを認めざるを得ないということになる。
では、どんな【考え方】がプラスで、どんな【考え方】がマイナスなのかを知る必要があると思った。
そこで、勉強したのが、人としての態度、行動、言動であった。
すると、どんな態度、行動、言動がマイナスでプラスなのかを考えるようになった。
そして、人にとやかく言う前に、まず自分がどうなんだということを思い知った。
【考え方】の根底にあるのが、今までの経験で培った潜在意識の中にある価値観が、無意識的、自動的、反射的にそうさせていることが分かった。
【考え方】が、眼の前に起こっている現象の全てを決めていることを知った。
それからというものは、どんなに辛いことが眼の前に起こったとしても、それが“良かったこと”として受け止められるかを自分に問うようになった。
これが、なかなか簡単にいかず、つい他人のせいにしてしまう自分を恨んだ。
筋金入りの〝ひとのせい主義”の私には、かなり高いハードルであった。
さすがに、家内が、無保険で生活保護を受けている保障能力がまったく無い人間のクルマに
はねられ、医者から助かる見込みが無いと言われたときには、加害者を許せるどころか
半殺しにしてやろうと思った。
頭でわかっていでも、感情がそうはいかない。悔しい、実に悔しい…
でも、そんな時、稲盛さんの経営講和を聞いて、少しだけ自分を許せるようになった。
それは、稲盛さんは、毎晩自分の1日の態度、行動、言動を悔い改めているという。
あれだけの実力者が、毎夜毎夜、洗面台の鏡の前で、自分を戒めているという事実に、自分自身を高めることとの意味を教えられた。
「今は出来なくても、いつかは出来るかも…」と、思うことにした。
事故から1年半、まだまだ完全とは言えないまでも、どうにか普通に生活できるまでに回復した家内を見ると、ちょっとはプラスに受け止められたのではないかと思えるようになった。
家内は、命がけで、自分の【考え方】を改めさせてくれたのだと思うようになった。
この経験から、【考え方】とは、【受け止め方】だというのが、私の解釈である。
生きて戻ってくれた家内には、感謝しかない。
私は、前の会社で、どん底を味わっている最中、稲盛さんの本と講演に出会うことで、ジリ貧に陥る原因が、経営者の【考え方】にあることが分かった。
稲盛さんの言う、仕事と人生は、【考え方】×【熱意】×【能力】という方程式で決まるという。
【熱意】と【能力】は、0~100までの尺度があり、どんなに最低でも1以上あるとのこと。
ところが、【考え方】だけは、-100~+100までの尺度があるという。
どんなに【熱意】があろうと、どんなに【能力】があろうと、【考え方】がマイナスであれば、結果はマイナスになってしまうのが、この方程式の特長。
どんなに自分の【考え方】がプラスだと主張しようと、結果がマイナスであれば、【考え方】がマイナスであることを認めざるを得ないということになる。
では、どんな【考え方】がプラスで、どんな【考え方】がマイナスなのかを知る必要があると思った。
そこで、勉強したのが、人としての態度、行動、言動であった。
すると、どんな態度、行動、言動がマイナスでプラスなのかを考えるようになった。
そして、人にとやかく言う前に、まず自分がどうなんだということを思い知った。
【考え方】の根底にあるのが、今までの経験で培った潜在意識の中にある価値観が、無意識的、自動的、反射的にそうさせていることが分かった。
【考え方】が、眼の前に起こっている現象の全てを決めていることを知った。
それからというものは、どんなに辛いことが眼の前に起こったとしても、それが“良かったこと”として受け止められるかを自分に問うようになった。
これが、なかなか簡単にいかず、つい他人のせいにしてしまう自分を恨んだ。
筋金入りの〝ひとのせい主義”の私には、かなり高いハードルであった。
さすがに、家内が、無保険で生活保護を受けている保障能力がまったく無い人間のクルマに
はねられ、医者から助かる見込みが無いと言われたときには、加害者を許せるどころか
半殺しにしてやろうと思った。
頭でわかっていでも、感情がそうはいかない。悔しい、実に悔しい…
でも、そんな時、稲盛さんの経営講和を聞いて、少しだけ自分を許せるようになった。
それは、稲盛さんは、毎晩自分の1日の態度、行動、言動を悔い改めているという。
あれだけの実力者が、毎夜毎夜、洗面台の鏡の前で、自分を戒めているという事実に、自分自身を高めることとの意味を教えられた。
「今は出来なくても、いつかは出来るかも…」と、思うことにした。
事故から1年半、まだまだ完全とは言えないまでも、どうにか普通に生活できるまでに回復した家内を見ると、ちょっとはプラスに受け止められたのではないかと思えるようになった。
家内は、命がけで、自分の【考え方】を改めさせてくれたのだと思うようになった。
この経験から、【考え方】とは、【受け止め方】だというのが、私の解釈である。
生きて戻ってくれた家内には、感謝しかない。
Posted by オタスケ沙悟浄 at 01:01│Comments(0)