●15年前の記憶「阪神淡路大震災」

2010年01月17日

●15年前の記憶「阪神淡路大震災」

平成7年1月、私は所属していた会社の命令で、神戸の接骨院のユーザーさんに救援物資を届けにいくことになりました。

当時の私は、子どもが生まれ親になってすぐの頃で、二次災害に巻き込まれやしないかと、行くのが辛かったことを覚えています。

ハイエースに荷物を積んで夜通し走って、現地で仮眠を取ると、すぐに目的地のユーザーさんへ向かいました。

●15年前の記憶「阪神淡路大震災」

そこで見た光景は、まるで戦争映画で見るガレキの山や、壊れた家々の残骸が痛々しく映っていました。

●15年前の記憶「阪神淡路大震災」

そんな様子の中でも、私は歩いている人たちから、何か強い生命力のようなものを感じていました。

●15年前の記憶「阪神淡路大震災」

私は、出発する前に、自分のことばかりを考え、行くのを躊躇した自分が情けなく思えてしまったことを覚えています。

●15年前の記憶「阪神淡路大震災」

福岡から持ち込んだ低周波治療器をバラックの中の仮診療所に設置して、治療に使っていただきました(かろうじて電気が通っていて良かった…)。

たくさんの被災者を出してしまう大きな震災でしたが、それと同時に、自分の存在意義を見出した人もいたといいます。

●15年前の記憶「阪神淡路大震災」
はじめは、少し恐かった私ですが、現地の人の強い生命力と、献身的に治療にあたっておられる接骨院の先生たちの姿を見て、自分に出来ることの小ささを思い知りました。

あれから15年経った今、地震のニュースが流れるたびに、当時のことが思い出されます。

そして、「今の自分は、誰かの役に立っているのか?」と、考えるようになりました。


Posted by オタスケ沙悟浄 at 07:00│Comments(2)
◆ この記事へのコメント
貴重な写真データと記憶と経験ですね・・・。
あれから、もう15年も・・・
早い人と、長い人といるでしょうが・・・
Posted by ★genki★★genki★ at 2010年01月18日 00:52
★genki★さん、コメントありがとうございます。
そちらも、去年は地震で大変でしたよね。
私も、こればかっかりは、逃げられないだけに、もしもの時は、
しっかり受け止めようと思います。
Posted by オタスケ沙悟浄オタスケ沙悟浄 at 2010年01月18日 23:47
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